所長の公認心理師・臨床心理士としての歩み②:児童相談所時代の2年目(地域の就学児童の支援・非行・虐待・不登校など性格や行動の困りごと)


いつも、こころとからだのカウンセリングルーム和(なごみ)に関心をお寄せいただき、ありがとうございます。

「所長の公認心理師・臨床心理士としての歩み①」では、児童相談所に勤務した1年目の主に「知的しょうがいを持つ(あるいは発達的な支援を必要とする)お子さんの支援」に関わっていた時期の私自身のことについて、書かせていただきました。

②では、その1年間を通じて、職員として土台ができてきて、ついに「地域の就学児童の支援全体」を任せられるようになった2年目のことについてお話していこうと思います。

・・・この時の私はとてもプレッシャーの中にいました。

1年目で、子どもの発達的な基礎について、深く知ることができましたし、親御さんや当時の非常勤職員さんから学んだことで、かなり土台がしっかりしてきて専門家としての自信もある程度ついてきたところでした。
(この非常勤職員さん達より、私は常勤職員という意味では責任が重いのですが、とてもベテラン職員さんたち揃いで、20代の若手心理士である私を常勤として尊重して大切にしていただきながらも、とても丁寧に指導してくださいました。本当に感謝しています)

しかし、「発達的な支援」中心だった1年目に対して、2年目は大阪のとある地域の「心理担当」を任され、
「その地域に起こるすべての児童相談所に課せられた問題をすべて相談を受ける」というのはなかなかのプレッシャーでもありました。

「地域を背負う重み」は、とても重いものでした。

どんな相談が多かったかと言うと、非行・虐待に関する相談や不登校・家庭内暴力など性格や行動上の困りごと相談が主だったものになります。

 非行相談は、例えば、バイク盗を含む窃盗・暴力・器物損壊・対教師暴力・放火、あるいは、家出等で家に寄り付かないで非行行為につながりやすい状況で家族や学校が相談してきたり、すでに犯罪行為をしてしまって警察が関わって、警察が本人さんを連れてきたり等、かなりこれまでより問題が大きくなって複雑化した状況での相談となります。
 家族や学校、警察、子どもとの間に緊張状態がある中で児童相談所に相談に来るケースも多く、こちらもある程度の緊張感を持ちながら、相談・・・・時には相談というより助言指導という言葉がふさわしいような、そんな難しい相談でもありました。

 虐待も非常に難しい問題でした。私が主に関わることが多かったのが、例えば、親御さんが何らかの理由で子どもを殴る、叩く等をして育った子どもがある程度大きくなって小学校高学年くらいに他児を殴る、放火をする等の問題行動をするといった「非行になって相談にあがってくる」という相談もありました。「非行と虐待の問題は時には切り離せないことがある」とも感じました。

 また、ネグレクトといういわゆる子どもにとって必要なケアをしない(育児放棄と訳す場合もあります)問題もありました。これも非常に難しい問題でした。育児放棄というと「積極的に子どもを放置し、傷つける」ような印象もありますが、親が仕事や家庭の事情(親の親族から親自身が虐待を受けているとか、お金がない等の問題があることもあります)、あるいは親自身の病気やしょうがい等(知的しょうがいや精神しょうがいも含む)の理由で余裕がなく、子どもに愛情があるにもかかわらず、余裕がなくて十分な養育ができない(ちゃんとご飯が作れない、清潔な環境を保てない)ケースも非常に多いことに驚きました。
 
 こうした身体的虐待・ネグレクト等のケースの多くは、どんな事情があるにせよ、子どもの利益を最優先するのが児童相談所の役割ですから、親にも共感的に関わる面もありますが、時に子どもを家庭から一時保護所に保護したり、積極的な介入をしながらの心理援助となりました。そういう意味では親御さんから嫌われることも多かったですし、子どもからも「家に帰りたいのに帰れない」と嫌われることもしばしばありました。緊張状態からのスタートなので、いわゆる「相談関係」になりにくいことも少なくなかったです。
 
 そんな中で「問題が大きくなって複雑化した後では対応が困難になる」ということを痛感しました。

これは後に和(なごみ)のコンセプトである

◎相談しやすい環境作り(リーズナブルな価格や対面・オンライン等の相談体制等)を心掛けることで、「問題が複雑化する前に早めに相談する場」を確保してもらい、「こころとからだの健康を維持のサポートをする」のが私たちの一つの目標です。

というスタンスにつながっていきます。

 一方で、「子どもを叩いてしまう・・・」等の理由で、未就学のお子さんとの関わりについて、積極的に相談してくる親御さんも少数おられました。これは「児童相談所に虐待してしまうことを自分から相談できている」ことですから、なかなかすごい親御さんだと思いました。
 私はこういう方は尊敬して、一生懸命関わりましたし、親御さんにもどうにか自分のこの状況を変えたいという強い意志があったので、児童相談所の中での非常に限られた支援(例えば月1,2回とか)ではありましたが、ある程度の効果があって、親御さんが子育てを安全に進める上でのサポートになったと思っています。
(なごみでも、しばしば、子どもを叩いてしまうという相談を受けることがあるのですが、この経験は、そういった相談に今も力強く役立っています)

 そして、最後に、不登校や家庭内暴力などの性格や行動上の困りごともありました。勉強が苦手で学校についていけない、対人関係で他の子どもともめる、いじめにあって学校にいけない、時には学校からも見放されてしまって、「来なくても良いから児童相談所に行きなさい」と学校と大揉めにもめて来談されるケースもありました。
 また、虐待を受けたお子さんが中学生や高校生になって、こころもからだも大きくなって成長して、逆に親を殴り始めたり、家のものを壊したりして自己表現し始めるという問題も少なくありませんでした。

 そういった非常にエネルギッシュでパワフルな地域の問題に対して、とても一生懸命に2年目の私は関わりました。
 
 時には、ひたすら保護者や子どもの悪口やクレームばかり言う(ように私には見える)校長先生と喧嘩する(熱い議論するというのが正確な言い方かもしれませんが、若い私にとってはある意味口喧嘩でした)こともありました。今思えば、学校も「困ってそうしている」のが主な理由でしょうから喧嘩以外にも、色々な支援方法があったかもしれませんが、私なりに一生懸命やりましたし、口喧嘩の結果、うまくいくケースもわりと多かったです
 (最終的に校長先生との関係性も壊れることはありませんでした)。

 その2年目は、残業も多く、帰宅してからも仕事のことが頭をめぐり、本当にしんどい1年間でした。

 そして、関わるケースの一部は、例えば非行のお子さんが「放火や窃盗をした件で新聞に載っている」ような、とても目立つケースの支援だったので、上司に「こんな難しいお子さんを私が担当しても良いですか?」と折に触れ、相談していたような気がします。

 その時の上司から言われたことが、この2年目で私が一番学んだことだと思います。

 上司は暖かくも厳しい雰囲気でこう言っていました。

「・・・・高橋さんな・・、私は20年この仕事をしているけども、親御さんや子どもの前では、2年目でも20年目でも関係ない。どちらもプロで専門家。だから、自信をもって、自分を信じてやるしかない。」

「そして、今の高橋さんならできると思う」-※

 ※の部分は、今思うと、実は言われたかどうかはっきりとは覚えていないのですが・・・(笑)、少なくとも上司との話の中でそのように感じていました。1年目から丁寧な指導を受けておりましたので、そう感じたのかもしれません。

 上司はいつも残業していて、遅くまで頑張っていて、コーヒーや栄養ドリンクを飲みながら頑張っていました。そんな背中を見ながら大変な2年目を過ごしました。

 2年目には、そういった感じでケースワーカーとペアになり、嵐のように過ぎていきました。

 ・・・うまくいくケースもありましたし、後悔が残るケースもありました。

 それでも、今振り返って、「自分が若くても、疲れていても、元気でも、いかなる時も専門家として前に立つ」という強い意志を学んだと思います。

 そして、その経験は今の私が土台を安定させて、大地を踏みしめて、しっかりと相手と関わる基礎を気づいた経験だったとも言えると自負しています。

 長文となりましたが、お読みいただきありがとうございました。

 高橋 暁彦