所長の公認心理師・臨床心理士としての歩み①:児童相談所時代の1年目(知的しょうがい児支援)

こころとからだのカウンセリングルーム和(なごみ)


より私のことを知っていただく機会にもなると思いますので、私のこれまでの仕事内容やエピソードを振り返る場をこのブログで作りたいと思います。

私は大学院の修士課程で心理学のトレーニングを受けた後、地方公務員の心理職員として入職しました。ここで12年勤務することになるのですが、最初の2年が児童相談所でした。

そして児童相談所時代の1年目に臨床心理士資格を取得することになります。

児童相談所の頃を思い出すと、一番最初に浮かぶのは、知的しょうがいを持つお子さんの支援です。

最初に担当したのは、療育手帳という知的しょうがいを証明するための行政が発行する手帳に該当するかどうか、お子さん(0歳~18歳まで)の発達状況を面接や発達検査で確認し、判断するというものでした。

主に、新版K式発達検査とWISCという検査を使ってお子さんの発達状況を把握し、同時に面接で親御さんからお子さんの社会生活(身辺自立、移動、作業、コミュニケーション、集団参加、自己統制等の観点)の様子をお伺いし、お子さんの発達を総合的に理解するよう努めていました。

当時、大学院上がりの駆け出しの心理職であった私は、発達検査を何度も練習して、ベテランの先輩にロールプレイをしてもらったりしながら、切磋琢磨していました。最初の年から年間100件以上、検査をさせていただいて、経験を積んだと記憶しています。

そのうちに、先輩がとあるお母さんとお子さんに対応する場面に陪席して、その場を見せていただくという機会を得ることになります。

その時のことは、とても良く覚えています・・・。

お子さんがおそらく2歳とか3歳だったでしょうか。初めて療育手帳を申請に来られて、発達検査を先輩がさせていただいた状況でした。発達検査を終え、事務所に戻り、専門的な分析をします。

その結果、「現段階」では発達指数が知的しょうがい域に該当することが判明します。「現段階」というのは、お子さんの場合、発達状況は成長に合わせて変動しますので、将来的に知的しょうがい域から外れて、境界域や健常域に入ってきて、知的しょうがいという状態ではなくなる場合はしばしばあります。

そのことを親御さんに先輩が告げた時です・・・。

親御さんの目に涙があふれ始めたと同時に、私の目にも涙が止まらなかったのを覚えています。

・・・今思うと、「このお母さんはどんな気持ちで療育手帳を申請されたのだろうか」とか、「今、横にいる我が子について、どう感じたのだろうか」とか、色々なことが頭を巡ったような気がします。

ただ、先輩が丁寧に落ち着いて、お母さんに寄り添いながら、今日の発達検査の状況やお子さんの得意なところ・苦手なところを温かい雰囲気で説明している場で、涙をためながら、どこか辛い気持ちで聞いていました。

きっとあまり頭に先輩の言葉が入ってこなかったような気がします。

私も経験を積む中で、さすがに毎回涙することはなくなりました。

ですが、敢えてこの体験にしばしば戻るように意識的にしています。

私たちにとっては、相談者さんに合うのは、数ある相談者さんの一人かもしれません。
ですが、一方で相談者さんからすれば、現段階で知的しょうがいかどうかを判断するような重要な場面に私たちが立ち会うという、人生の大きな局面であることも当然あります。

その瞬間にともに同じ空間にいて、専門家としての関わりから分かったことを伝えることはもちろん大切です。

ですが、それと同時に、親御さんや当事者であるご本人さんが「これまで生きてきた歴史や苦労」をありのままに受け取って味わいながら、その「これまでの歴史が未来につながる形」となるように、「専門家として相談者さんと一緒に考える時間を何よりも大切にしたい」と考えるようにしています。

なので、私たちができることは「現段階でしょうがいであることを告げる」のが一番の目的であるのではなく、「(現段階では)しょうがいであるという結果を受けて、相談者さんのこれまでの過去とこれからの未来をどう繋げていくかを、一緒に痛みを感じたり、希望を感じながら、創り上げていくためのサポートを試みる」ということを目指していると思います。

あくまでサポートを試みると書いたのは、1回の面接で十分なサポートをすることはできないことも多いからです。

「子どものことを客観的に捉えた時に生じる心の痛み」や「将来に向けてのぼんやりとした希望」を一緒に確認し、あくまで「考える材料」として面接が機能して、その後、来談された親御さん・ご本人、そして、帰宅して待っている家族が徐々に考えていく問題となることが多いような気がします。

中には、ご縁があって、その後児童相談所に相談に来られる方もおられますし、一期一会の方もおられます。

なので、当時は、一度しか会わないことを前提に、それがより良い「考える材料」になるように丁寧に仕事をしていた記憶があります。また、こちらが専門家として、子どもの成長・発達について、専門的見解を伝えるような場でもありましたが、実に多様な子どもの社会生活上のエピソードを様々な親御さんから教えてもらいましたし、当時は自分の子どもはおりませんでしたから、毎日が勉強の連続でした。

そういった経験が、私の中にある「専門的知識」を「具体的な多種多様な子どもの暮らし」としっかりと結び付け、机上の空論ではない形で私の今の知識を力強いものにしているのではないかと自負しています。

なので、かけだしの心理職は沢山の親御さんに、実にたくましく育てていただきました。

不思議な感覚ですが、本当に心から感謝しています。

さて、立ち返ってみて、私が先輩と一緒に面接に入った時の涙が、あの時のお母さんの気持ちとどの程度シンクロして重なっていたかは、今思うと謎なところがあります・・・。これは今思うと、実に奇妙なことです。

共感(相手の立場にたって気持ちを感じる)ではなく、感情移入(自分の立場から相手の感情を推測し、動揺し、共揺れしてしまう)だったような気もします。

でも、私にとっては「感情移入するくらいの場のエネルギーがそこに生じた」ようですし、その時の体験が、「一人一人の相談者さんにきちんと真摯に向き合っていこう」という私にとってのかけがえのない原点でもあります。

どうやら私の人生にとっては、重要な局面であったことは揺るぎないものと確信できそうです。
これからもこの当時の感覚は、私の人生の糧として、大切にしまっておきたいと思います。

いずれブログでも触れますが、私が公務員として働いた最後の2年間が、知的しょうがい者(18歳以上~高齢者)支援であったことも感慨深いものがあります。最後の2年間は最初の児童相談所時代のことを思い出しながら、仕事をしていた記憶があります。

書き始めていたら、思ったより長くなってしまいました。

ですので、今回は児童相談所時代の1年目を振り返るブログとしてまとめ、次回は2年目のこと(地域の就学児童の支援)に触れようと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

髙橋 暁彦